世界恐慌とは?
1929年10月24日、アメリカ、ウォール街の大暴落(暗黒の木曜日)をきっかけに、1930年代後半にかけて世界的に広がった大恐慌。
好景気なアメリカ
1920年代、第一次世界大戦をきっかけに、ダメージが少なかったアメリカは好景気だった。
自動車産業の大成長とともに、株価は6年で5倍の成長を遂げる。
株価は上がり続けると信じていた人々は強気な投機を続ける。
ウォール街の大暴落
1929年9月3日にダウジョーンズ工業株平均(NYダウ)最高値381.17ドルをつけると、
そこから株価は徐々に下落。
1ヶ月間で17%下落すると、そこから半値ほど回復、すると急速に下落が再開し、
10月24日のウォール街の大暴落(暗黒の木曜日)に突入。
株価は1日で12.8%下落、28日にも−12.8%で260ドル、29日さらに−11.7%で230ドル。
11月13日に一旦の底値、198ドルをつけると、4月17日に294ドル。
だが、これは一時的な反発に過ぎず、1932年7月8日に、41.22ドルをつけた。
ヨーロッパに広がる恐慌
第一次世界大戦で無傷だったアメリカからの資金が、大戦で痛手を受けていたフランス、イギリスなどのヨーロッパの国々へ投資されていた。
それらの資金が引き上げられると、欧州の銀行はいくつも破綻し、世界的に大恐慌が広がる。
経済復興への施策
ニューディール政策
1933年。フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任すると、これまでの自由主義的な経済政策から、国家が積極的に介入する国家資本主義的経済政策に転換していく。
そこで、世界恐慌から脱却するために救済・回復・改革の3つの理念を元にニューディールという名の経済政策が行われる。
- 銀行を厳しく管理。再生可能な銀行には政府が貸付。
- 全国産業復興法を制定。企業に独占禁止法を一時的に停止して、価格カルテルを認め、労働者に団結権や団体交渉権を保障するなどした。
- テネシー川流域開発公社など公共土木事業に対して数十億ドルの支出し公共事業を創出。
- 農業調整法を制定。農業の生産の制限をする代わりに政府が補助金を出し、過剰生産品の買い上げなどをすることによって農作物の価格の安定を図る。
- 失業者や貧困者救済のため、社会保障法を制定。
- 投機や行きすぎた融資を監視すべく、証券取引委員会を設置。
- 農産物、工業製品の関税引き上げ。
ブロック経済の構築
イギリスやフランスなどは国内からの資金の流出を防ぐため、関係の深い国や自国の植民地の中で経済・貿易を回そうと、他国に高い関税をかけるなど独自の経済圏を作ろうとした。
各国がこのような保護貿易主義に動いたため、世界的に貿易不振になり、経済停滞が長引く原因となった。